大判例

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最高裁判所第二小法廷 平成2年(行ツ)153号 判決 1992年1月24日

上告人

谷英太郎

右訴訟代理人弁護士

大塚明

神田靖司

戎正晴

中村留美

被上告人

兵庫県知事

貝原俊民

右指定代理人

加藤和夫

外一〇名

主文

原判決を破棄し、第一審判決を取り消す。

本件を神戸地方裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人大塚明、同神田靖司、同戎正晴、同中村留美の上告理由について

一本件記録によれば、上告人の本件訴えは、八鹿町営土地改良事業(以下「本件事業」という。)が、農業生産とは直接結びつくことのない国道九号線バイパス新設のために土地改良法(以下「法」という。)を利用又は流用しようとするものであり、本件事業は、法二条二項各号所定の事業には該当せず、また、本件事業は、農業から商業への産業構造の転換を促すものであり、農業生産の拡大や農業構造の改善には何ら資するところがないから、法施行令二条一号の必要性、同条六号の総合性を欠く違法なものであるとして、被上告人がした本件事業施行認可処分(以下「本件認可処分」という。)の取消しを求める、というものである。

第一審は、本件事業計画に係る工事及び換地処分はすべて完了しており、工事費二億六七九〇万円、事業主体事務費二六六万二〇〇〇円(合計約二億七〇五六万二〇〇〇円)の費用を投じ、39.4ヘクタール(昭和五九年の計画変更により、四二ヘクタール)の区画、形質は既に変更され、関係権利者一〇〇人にも及び換地処分による登記も完了し、上告人も二筆の換地を得たとの事実を確定した上、本件認可処分に係る事業施行地域を原状に回復することは、物理的に全く不可能とまでいうことはできないとしても、その社会的、経済的損失を考えると、社会通念上、法的に不可能であるとし、本件認可処分を取り消しても、もはや上告人の主張する違法状態を除去することはできないから、これを取り消す実益はなく、訴えの利益はないものというべきであるとして、本件訴えを却下し、原審もこれを支持して、上告人の控訴を棄却した。

二しかしながら、原審の右判断は、是認することができない。その理由は、次のとおりである。

本件認可処分は、本件事業の施行者である八鹿町に対し、本件事業施行地域内の土地につき土地改良事業を施行することを認可するもの、すなわち、土地改良事業施行権を付与するものであり、本件事業において、本件認可処分後に行われる換地処分等の一連の手続及び処分は、本件認可処分が有効に存在することを前提とするものであるから、本件訴訟において本件認可処分が取り消されるとすれば、これにより右換地処分等の法的効力が影響をうけることは明らかである。そして、本件訴訟において、本件認可処分が取り消された場合に、本件事業施行地域を本件事業施行以前の原状に回復することが、本件訴訟係属中に本件事業計画に係る工事及び換地処分がすべて完了したため、社会的、経済的損失の観点からみて、社会通念上、不可能であるとしても、右のような事情は、行政事件訴訟法三一条の適用に関して考慮されるべき事柄であって、本件認可処分の取消しを求める上告人の法律上の利益を消滅させるものではないと解するのが相当である。

してみると、右と異なる見解に立って、訴えの利益が消滅したものとして本件訴えを却下した第一審判決及びこれを支持した原判決は、いずれも法令の解釈適用を誤ったものといわざるを得ず、右違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れず、また、第一審判決も取消しを免れず、本件を神戸地方裁判所に差し戻すべきである。

よって行政事件訴訟法七条、民訴法四〇八条、三九六条、三八六条、三八八条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤島昭 裁判官中島敏次郎 裁判官木崎良平 裁判官大西勝也)

上告代理人大塚明、同神田靖司、同戎正晴、同中村留美の上告理由

一 原判決は、本件事業計画にかかる工事及び換地処分が完了しているとの事実認定のもとに、「本件認可にかかる事業施行地域を原状に回復することは、物理的にまったく不可能とまではいうことはできないとしても、その社会的・経済的損失を考えると、社会通念上法的に不可能であるといわなければならない。そうすると、本件認可を取り消しても、もはや原告の主張の違法状態を除去することはできないから、右のような意味ではこれを取り消す実益はなく、訴えの利益もないものというべきである。」といい、さらに、「行政事件訴訟法九条にいう訴えの利益の有無を判断する際には、同法三一条の事情判決の可能性の有無がその要件にはならない」との見解のもと、本件上告人には本件事業の認可処分の取り消しを訴求する訴えの利益がないと判断し上告人の訴えを却下した第一審判決相当として控訴棄却の判決をなした。

しかし右の判断には明かに法令の解釈を誤った違法が存する。

二 行政事件訴訟法に基づき取消訴訟を提起するには、同法九条によって「原告が当該請求について判決を求める現実の必要性があること」という権利保護の利益、いわゆる狭義の訴えの利益が必要とされることは一般に認められるところである。すなわち係争処分の取り消しを求める現実の必要が存し、かつ取消判決が得られれば初期の救済目的が達成される場合には、狭義の訴えの利益が肯定されるべきである。反面、処分後の事情の変化が訴えの利益を失わせる場合がありうること、執行の終了に伴って原状回復が事実上まったく不能となった場合がそのような場合に含まれる可能性があることは、上告人もこれを認めよう。

しかしながら、一方、行政事件訴訟法三一条は、処分取り消しによって「公の利益に著しい障害を生ずる場合において」は、「原告の受ける損害の程度、その損害の賠償または防止の程度及び方法その他一切の事情を考慮したうえ」で、処分またはその採決が違法であることを宣言し、そうすることにより取消請求自体は棄却できるという事情判決の制度を置いている。行政事件訴訟法がこのような事情判決の制度を置いているということは、同法が行政処分後の事情により原状回復が事実上もまったく不可能となった場合には訴えの利益を否定するが、それが事実上は不可能とはいいきれない場合には、訴えの利益を認めて本案審理を行い、処分が違法であれば、それを取り消して原状回復を図らせることこそを行政事件訴訟の原則としていると考えなければならない。ただ取消判決が社会的経済的に重大な損害をもたらす等、公共の利益に著しい障害を生ずる場合には、例外として処分の取消=原状回復を認めず、事情判決の適用の問題として処理することを予定しているものである。

つまり同法九条で、原状回復が不能として訴えの利益が否定される場合の「不能」とは、原状回復が事実上もまったく不能な場合を意味するものと考えるべきである。本件のごとく「物理的にまったく不可能とまではいうことはできないとしても、その社会的・経済的損失を考えると、社会通念上法的に不可能である」場合はまさに事情判決制度が適用を見るべき場合の典型と考えられるのであって、その前提として本件の訴えの利益は肯定されるべきである。

本件のごとき場合に、訴えの利益を否定してしまうならば、事情判決制度の存在理由そのものが消滅してしまい、現行行政事件訴訟法の体系に適合しないこととなる。

三 事情判決は既成事実の尊重という行政遂行上の利便につかえる反面、処分等の違法性を宣言することによって行政の非違をただし、もって国民の裁判を受ける権利の保障に寄与するという機能をも営むはずである。事情判決にそのような国民の権利保障に寄与する機能を認めて初めて、あえて違法な行政状態の維持をもたらす事情判決制度の存在理由が認められるべきものである。

四 原判決は同法九条と三一条の関係につき「同法九条にいう訴えの利益は、本案審理に入る前提としての訴訟要件であるのに対し、同法三一条の事情判決は本案審理を遂げた後の、終局判決でなされるものである。したがって両者は手続き上、截然と区別すべき概念であって混交することは許されない」と述べる。

確かに、事情判決自体は本案審理の後になされるものであることは疑問の余地はない。しかし、訴えの利益の有無を判断するに当たって、行政事件訴訟法が事情判決の制度を置いているそのことの趣旨は当然考慮されてしかるべきである。本件のごとく「原状回復が物理的に不可能とまでは言えないが社会的、経済的損失を考えたとき社会通念上不可能」という場合とはまさに、「処分または裁決を取り消すことによって公の利益に著しい障害を生ずる場合」として事情判決が予定している事案である。右第二項においても述べた通り、上告人はそのことを訴えの利益の有無を判断するに当たり考慮すべきことを求めているのであって、訴えの利益と事情判決を概念上混交させているものではない。

五 原判決は、事情判決の根拠は一次的には既成事実の尊重にあること、この主張立証責任は被告にあること、原告はあくまで処分の取消を求めてその主張立証をすれば足ること、を述べて原告には事情判決申立権がないという。理論的にはその通りであろう。本件においても原告(上告人)は処分の取消こそを求めているのである。違法な処分による原状の回復を求めているのである。事情判決の余地がある、というのは仮に既成事実がやむなく尊重されるとしても、それはたかだか事情判決という特例の中において尊重されるにすぎないものであることを主張しているのである。端的にいえば、上告人が求めているのは事情判決ではなく、処分の取消である。事情判決とはまさに上告人にとっては、百歩譲った結果のことを先取りしているにすぎない。

原判決は、「原告には、事情判決を求める申立権(反面からいえば裁判所がこれに応答すべき義務)がないから、取消訴訟での原告の事情判決についての主張は、たかだか、裁判所に対して、本案の審理が行われたときには、事情判決がなされる可能性のあることを示唆するにとどまる。したがって、もともとの訴えの利益のない取消し訴訟が、申立権のない原告からのこの主張があるために訴えの利益が生じ、本案に入って審理をしなければならないとするのは、無理である。」と言う。しかし、原審が訴えの利益がもともと存しないとする根拠は、原状回復が事実上可能であるも社会通念上、法的に不可能だとする点のみである。しかし、これについては、前述した通り、事実上も不可能でない以上は訴えの利益があると解すべきであって、「もともと存しない」ということはできないのである。とすれば、上告人の事情判決の主張如何にかかわらず、本案審理に入るべきであるから、右の裁判は失当というべきである。

さらに原判決は「原状回復が物理的に全く不可能とまでいうことはできない」のにもかかわらず「原告として残された道は、損害賠償請求しかない」と論理を飛躍させる。既に何度も述べた通り、原状回復が物理的に全く不可能とまでいうことができない以上は訴の利益は十分に存するのであって、上告人は損害賠償請求をもって満足するわけにはいかないのである。

原判決は「損倍賠償は取り消し訴訟と無関係に提起できる」こと、「事情判決のなされる可能性がある場合には、訴訟の進行中に、取消訴訟の原告が、被告に対し、事実上その被った損害の填補にとどまらず、今後の損害の防止措置を講じることや事業の一部修正等を求めることが可能となり、これによりいわば紛争が和解的に解決される余地があることは否定できない」が「それらは事実上の利点に過ぎないので取消訴訟の原告に事情判決を求める法律上の利益はない」という。しかし、上告人(原告)の求めているのは事情判決ではない。まさに処分の取消を求めているのであって、訴の利益論との関連で原告が事情判決の法理を一部引用したことをもって、あたかも原告が事情判決を求めているかの如くすりかえるのは詭弁という他はない。

六 最後に付言するならば、原判決は、事情判決が為される可能性あるときには、紛争の和解的に解決される余地があることは否定できない、と上告人(原告)の主張をこえて事情判決の法理とその運用に多大の機能と利点を認めている。このような視点は、すぐれて実務点な卓越したものであると考える。そして、事情判決が存在すればその後の損害賠償において原告が利益を得ることは、単なる可能性にとどまらない高度の蓋然性を有するものであり、また和解的解決の帰趨は事情判決をするべき際に考慮される「一切の事情」に含まれるものである。してみれば、事情判決を望む行政庁がかかる試みをなすこともまた高度の蓋然性をもって認められるところであろう。とすればそのような利益は、事情判決制度があることによって、公益上の必要から違法な行政状態の存続を甘受せざるを得ない原告にとっては、単に事実上の利益にとどまらない法律上の保護に値する利益というべきである。

七 以上の通り原判決には行政事件訴訟法九条及び三一条の解釈を誤った違法が存する。

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